この前の日曜の礼拝は、9年ぶりに日本に来ているビショップ先生のメッセージでした。
昼食交わり会のあと、少し先生とお話ししました。
その中で、そうか、と思ったことを少し書き留めておこうと思います。

いつかは結婚したいものだと思って今までいましたけれど、
先生が話された一言に、なるほど、そうだな、と思ったのは、

「神さまの私への計画をわきまえ知ること。」

今日も知人が婚約したと言うことを知り、
私よりいくつか若い人なだけに、
うらやましいなぁ、正直思いました。

また、大学を出てそれほど経っていない程の若さで結婚した人もいます。

この人たちはどちらもクリスチャンで、
クリスチャン人口の男女比から行くとラッキーとも言える確率で結婚しているわけで、
それがどうして私に当てはまらないのかと思うわけです。


そこで、神さまの私への計画をわきまえ知る、ってことを思い出しました。


私への主からの祝福をわきまえ知ること。


その通りだと思いました。

広島聖書BCからの「日々のことば」。
今日も私のための覚え書きのために転記。


「彼らは信仰によって、国々を制服し、正しいことを行ない・・また、ほかの人たちは・・拷問を受け、石で打たれ、牢に入れられ・・」ヘブル11:33

ある人々には、奇跡がなされた。ししの口がふさがれ、炎の中にいながら焼かれず、剣の刃から守られ、戦争をすればどんどん勝利し、死人がよみがえらせられた。しかし、別の人々は、拷問を受け、牢に入れられ、石で打たれ、のこぎりで引かれ、剣で殺され、奇跡は起きず死んで行った。 同じ信仰の勇者にこれらの人々が記されている。ある人は奇跡で命が救われ、別の人は殉教して行った。これは神が全主権を持たれ、御心を行われるという事だ。どちらの結果も、神の栄光のためだ。ある人が病を患い、経済的にも困窮し、今日の糧にも困る状況だった。神にお委ねし、ただ神に頼り、祈り求めた。 ところが奇跡は何もなく、更に窮状が続いた。祈りが積まれるが、病気が治るとか、お金が与えられるとかは、何も起きずどん底になって行った。しかし、そんなどん底で、不思議な事に、心に感謝が溢れ、喜びが満ち溢れた。それは自分ではなく、御霊からのものだった。状況はどん底なのに、内側から感謝が溢れるのだ。

最悪の中で、感謝と喜びに満ちている彼の姿に、周囲の人々は信仰に火がつき、リバイブされて行った。ある人はそんな彼により、生涯の信仰が定められ、牧師となって行った。神はご自身の望む通りに御心をされる。どうであれ与えられた状況で、主に従おう。周囲にも神の栄光が現される。

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何の実もないとしか見えなくても、神は必ず最善をなして下さっている。今はその途上だと期待と希望をもって歩もう。目に見えない約束を握りしっかりと立っているか、それだけがいつも問われる。


今日は吾妻・安達太良も初冠雪。
山が白く青い、美しい朝でした。

土曜の午後あたりから左側の目の奥が痛くなってきて、
日曜、それに月曜と頭痛が続き、月曜の夜はお風呂でちょっと下を向いただけでガンガンしちゃって、
夜、低周波治療器をこれまたガンガンかけて寝たものの、
今朝もまだ少し頭痛が残っていました。
神経を抜いた左側の歯も痛くて、
今日は歯医者さんだし、やはり薬を飲むか、と、偏頭痛用の薬を朝食前に飲みました。
軽いうちに飲むとやはり効くのも早い。
家を出る前にはもう痛みはなくなっていました。



それでも午前中は頭痛の影響なのか、それとも今朝飲んだコーヒー牛乳のせいなのか、
お腹がゆるくなって、3回くらいトイレに駆け込んだけど、
先日婦人科でもらった漢方を飲む前の、生理中のひどい下痢+脳貧血に比べればなんのその。



前は数ヶ月に一度くらいだったのに、今年度になってから、毎月脳貧血と下痢に悩まされるようになり、
そういや、前の仕事を辞めてから行ってないなぁ(でも実は行ってた)と思って、
先月婦人科へいってきて、
そのとき漢方の薬で処方していただいたのが、効いているみたい。
今月は生理痛も大変軽かったし、下痢にもならなかったし、
故に脳貧血もなかった。感謝。



ただ、頭痛はありましたね。
まぁ、これは寝不足とか寝る前のPC長時間とか、他にも原因はありそうだ。



で、今日の歯医者さんでもその話になって、
先生メモっておられたが、なぜ頭痛を気にされているのかが不明。
今日も先生のお話で終始した感が否めないけど、
しかも聞いたことのある話もあったから(+オプションはあったけど)、
先生はみんなに楽しい話をしているんだろうなぁ、って思った。
そんでもって、ファン?も多いんだろうなぁっても思った。




先日新聞に「女のしくじり」という本の広告が載っていて、
しかも著者の名前がゴマブッ子さん、っていうんで、チョ〜うけちゃって、
HPをのぞいてみたら、あるわあるわ、しくじりの数々。
ああ、これわたしもやってたわ、これってしくじりだったのねって
悲しくもあり、おかしくもあり。






わたしの人生、しくじりだけで終わってしまうような気がしている、
かなり寒〜い秋の晩です。

結婚できない、給料があがらない等々、
このところわたしは鉄分不足だからだと自分で決め込んで(というのは献血400をやったから)
周囲(神さまを含む)へのプチ反抗期だった。

そんなわたしへの「日々のことば」。
今日も覚え書きのために転記。



「自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです」マタイ20:14

ぶどう園の主人は働き人を募集した。早朝から5時まで5回も募った。最後の者など、もう仕事になどならない。主人は、彼らに最後までチャンスを与えたかったに違いない。最後の人々は怠けていたのではなく、仕事を求めていたが無かった。今日の糧が無い事を不安に思い、思い煩いながら、待っていた事だろう。 これは主人のあわれみであり、愛だ。夕方になり、主人は最後の者から順に、賃金を払うように言った。最初の者から払うなら何の問題も無かった。貰った順に去って行くからだ。それなら喜んで感謝して満ち足りて、最初の者達は帰ったであろう。ところがあえて、逆にし、皆に支払われた賃金を見届ける事になった。 最初から12時間暑さの中で働いた者と、1時間だけの者が同額である事に、不満と怒り噴出だ。どんなに働きたくても、雇われないなら働けない。主人が雇ってくれ、働けたこと、朝一番からその日の糧が約束されていて、何の不安も恐れもなく、安心して働けたこと、そんな恵みと感謝が見えず、すべて吹っ飛んだ。 主人は約束をきちんと果たし、何の不当な事もしていない。「あなたの目には妬ましく思われるのですか」。私達もどうだろう。「自分の分を取る」のでなく「自分の分を忘れ」、自分が何様と思い上がってしまう時、すべてが当然の権利となり、奢り高ぶってしまう。道をそれる。すべてが恵みから始まったことに、今一度立ち返ろう。

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神様が与えて下さっている自分の分とは何か。それは当然の権利ではなく、神様からのあわれみといつくしみに溢れた恵みだ。赦されるはずのない者が赦され、神様と共に歩む人生へと招かれた。人は関係ない。自分にして下さってる事だけを見ていよう。

昨日久しぶりに頭痛がちょっとつらく、朝一時間年休をもらいました。
片頭痛用の薬を飲んで、昨日は仕事帰りに歯医者さんだったので
車で仕事場へ行ったころには薬も効いて、
仕事もある程度ふつうにできました。
が、やはりちょっとふらつくというか。
でも、さすが片頭痛用の薬なので、気持ち悪くなったりしない(ただの痛み止めでは、痛みは治まるが、頭痛からくる吐き気は消えない)ので助かりました。

でも鏡を見るといつも以上に目の下のクマが。
あ〜あ、2週間ぶりの歯医者さんなのに、疲れ顔です。


そしてその歯医者さんで、驚きの事実を聞き。


夜中一度目がさめて、そのことを考えてしまって、20分くらい寝付けませんでした。
とはいってもたったの20分なのかもしれない。
どうなんだろう。


そして今日は父が胃カメラの日。
予約の時間の10時も過ぎ、どうしたかしらと思っていて。
そしたら内線がなり、ムーミン先生から無事終了問題なしのご連絡。
ありがとう。
そして問題なくて主に感謝。


前回の日記にも書いた千葉の友人と、
少し遅い夏休みを満喫してきました。
日曜の礼拝が終わったあと、

一度泊まってみたいと思っていたプルミエール箕輪へ。
ここは、学生の時ピアノを教えるバイトをしていたご家庭で、
毎年年末年始に泊まりに行くんだ、という話を聞いてから、
一度行ってみたいと思っていたところだから、かれこれ15年ぶりの実現。
なるほど、素敵なホテルでしたよ。
部屋は広くて素敵だし、バスタブとシャワースペースが別になってる、超高級ホテルだった…。
少し出窓風になっている窓からはゲレンデが見えて、
雪のシーズンはさぞかしロマンチックじゃろうて。
わたし、すごく貧しい人と結婚することになったら、
ここで新婚旅行でもいいかな。
次の海外は新婚旅行がいいってちょっと前から思っているんだけどね。
早くその日が来ないかな…。


とと、現実を離れてしまった。
で、ここでの滞在を満喫して、次の月曜は若松、猪苗代を旅して
郡山へ送ってさよならしました。


その友人は動きがちょっと遅いので、
普段、旅行となると張り切ってしまうわたしは
最初イラッとしてしまったんですが、
まてよ、わたしは遅い夏休みを過ごしに来ているんじゃなかったか、
と思い直し、
彼女のゆっくりに、気持ちを合わせることにしました。

彼女のおかげで、ゆっくりとした、贅沢な時間を過ごすことができました。

TARO CAFEにも行ってきました。
わたしは久し振りにホットサンドを。
ケーキが秋メニューになってました。


で、郡山で別れたあとに、わたしにはもうひとつ連休最後のイベントが。
郡山市立美術館でのジャズコンサート。

ジャズでも結構クラシカルなピアノのみのコンサートだったので、
やはり結構運転もしたので疲れていたのでしょうか、軽いスウィングの中での気持ちよい眠り。


この週はほんとに恵まれていて、
次の日エリちゃんからのお誘いがあって、23日のゴンチチ
それから昨日の土曜は招待券をいただいて千晶ちゃんの箏のコンサート、と、
全部無料で聞いてくることができました。

千晶ちゃんもすごい人になっちゃってて、
そして演奏も大変よかった。
その他、和服の身のこなしとか、
話し方とか、どれもこれも参考になって、
といってもそれを生かす場がわたしにあるのかどうかは疑問だけど、
着物、自分で着れたらいいなぁ。


それから話は23日に戻るけど、
この日はキャンプ場で「ビショップ先生を囲む会」をして、
かなり懐かしい人の顔も見られる会になりました。

二本松の教会へは11月14日の礼拝に来てくれるのですが、
その前にもう少しゆっくり、先生との時間を持ちたいなぁ、と家族で話しているところ。
ところが父が体調を崩しているので、それが早く治らないかと。
持病があったり、薬漬けだったりするからか、良く風邪をひくようになったし、
治りも遅くなった父。


偶然にも今度胃カメラムーミンにやってもらうことになって、
よろしく頼みます、とメールをしたら
わたしの不安を察してくれたのか、
大丈夫だよと返事をくれて、
古い友人の優しさに涙が出ました。


みんな、一日一日を大切に生きて、
ちゃーんと年を重ねてきたんだなぁ、と
思いました。
















今日、千葉から友達が遊びに来て、
9年ぶりに日本に来ているBishop先生に会いたい、というので
急遽、D.Bishop先生に会ってきました。
各地から先生に会いに古い友人知人たちが訪れていて、
みんなで写真を撮りました。
23日に「ビショップ先生を囲む会」がキャンプ場で開催されるので、
そのときにわたしはゆっくりお話しをするつもり。
先生、全然変わってなかったので安心。
先生も「めぐみちゃ〜ん、あなたも全然変わってなくて、かわいいね〜。」
といってくれて、
いやぁ、小さいときから知ってるからなぁ。
かわいいと言ってくれるのはビショップ先生くらいかもしれない。
素直に嬉しかったです。