6月5日の朝早く、教会のひとりの兄弟、Yさんが息を引き取りました。
まだ若く、47歳でした。
メラノーマだと分かったのが2006年。
最初の手術から3年9ヶ月でした。

私はこの4月から医大に勤めていて、
兄弟もこの病院に入退院を繰り返していましたが、
5月の2週目からの緊急の入院からは、吐き気が伴っていて食事も十分に取れず、
苦しい状態でした。

5月23日の日曜の礼拝のあと、
教会の帰りに両親と医大によって、
もし廊下からのぞいてみて、元気そうだったら声をかけよう、
と行ってみたところ、
YさんはTVを見れていたので(確か大相撲)、
大丈夫そうだな、と思って声をかけて部屋に入りました。

「吐き気止めを入れてもらったので楽になって、ようやくTVを見る気になったんです〜。」
とやさしい顔をして話してくれました。
でも、「つらいんだ〜」「あんまりつらいと祈れないんだ〜」
と、それでも少しの笑顔で素直につらさを話してくれました。

その後も、勤務の合間、病室の近くの階まで来たときは、
ちらっと病室を外からのぞくこともありましたが、
ベッドの右側の手すりに左手をかけて、廊下側に背中を向けて、辛そうにしているので、
声をかけずに戻ることが数回ありました。

そのうちに、「面会の方は看護師に声をかけてください」
という札がドアにかかるようになって、
次には「面会謝絶」の札がかかるようになって、
6月の2日の水曜日、仕事帰りに寄ったときには、今日は疲れているから、ということで
会うことはできませんでした。

そして6月5日の5時電話が鳴って
牧師から、あぶないから、と祈りの要請があって
6時前に、息を引き取ったという電話がありました。

病院からの電話で駆けつけた家族も、見取ることはできなかったのだということでした。

Yさんはひとりで、でも主と共にいったのでした。

でも、わたしたちには希望があります。

「わたしはよみがえりです。いのちです。私を信じるものは死んでも生きるのです。(聖書)」

天の御国で再び会える日のために、
また私よりずっと大きなさみしさを感じている家族とともに、
その希望をもって
主に与えられた人生を、主と共に歩みたいと思います。