広島聖書バプテスト教会からの配信「日々のことば」を送ってもらっていて、
旅に出ている間も、PCが使える環境のときには見ていましたが、
なぜか3月16日を最後に送られてこなくなりました。
ちなみに3月16日は詩篇37:4。
「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」


このみことばは去年2008年3月30日に、私に対する約束のみことば、としていただいていたものだったので、
一年を経て再びこのみことばをいただき、この約束はもう確実だな、と思い、ある行動にでたわけだったのですが、
結果はその約束と違っていました。
だからもうしばらくこの約束の実現まで待たなければならないのか…との思いと共に、
広島聖書BCからの配信も止めたままにしておきました。


でもこちらからHPをのぞけばいつでも見ることができるので、
今日ちらっと見に行ってきました。
ヤコブエサウ、それにからむイサクとリベカのところでした。
今まで良く分からなかった部分がすっごくよくわかったので、
これは見てくださっているクリスチャンの方々にもお知らせしたいと思い、載せようと思います(既に知ってたらごめんなさい)。
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「お前の弟が来て、だましたのだ。そしておまえの祝福を横取りしてしまったのだ」創世記27:35
イサクは長男エサウに祝福を与えようと、獲物の料理を持って来るようにと言った。
それを聞いた母リベカは弟ヤコブにその祝福をと、視力の衰えているイサクをだました。
イサクはエサウだと思い込み祝福を与えた。そこにエサウが戻り、事の次第を知った。
イサクは激しく身震いし、エサウは大声で泣き叫んだ。
企みを知ったエサウは怒りでヤコブを殺そうとした。それで家におれず、逃亡し叔父の所へ身を寄せるはめになった。
家族が傷つけ合い、バラバラで、皆が不幸だ。どこに問題があったのか。
イサクは「兄が弟に仕える」との神の御心が示されているに関わらず、自らの肉の思いでエサウを偏愛した。
リベカもヤコブを溺愛し、神を信じ、神の主権のもと、神がされる事を待ち望むのでなく、肉で狡猾に画策し祝福を奪った。
ヤコブも神の計画を信じ、委ねるのでなく、父をだまし、自力で奪い取った。
エサウは長子の権利を豆の煮物と引き換えた。
「長子の権利を売った俗悪な者」彼は長子の権利を軽んじた。皆が神を仰ぎ、神に従うのではなく、自己中心に、肉の思いで動き、招いた結果だ。
親子、夫婦、兄弟関係、皆に亀裂が入り、ぐちゃぐちゃだ。神は大きなご計画の中で、これらすべてを益として行って下さったが、しかし、ここで学べる。
肉で、自分の思いで動くのでなく、神の主権を認めて、神を待ち望み、委ねて歩む事がいかに祝福であり、大切かを。

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自分の思いで現状を見て行く時、恐れと不安で一杯になる。神様がして下さる・・の視点に立てますように。起こることの中に神様を見つめて歩めますように。
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彼らそれぞれの間違っていたところが分かったと同時に、私の間違いも分かる。
神さまを待ち望むってけっこう(ていうかかなり)大変だけど、もう既に神さまは私のために働いてくださっているはず。
だから感謝。