今日はクリスマス。
世の中もクリスマスケーキにセール。
さらに明日からは「クリスマス寒気(かんき)」が来て、雪がたくさん降って、風が強くなるそうな。


そんな中、今日の「荒野の泉」(ディボーション用の本)に、考えたことのないことが書いてありました。


「数年前、『もしキリストが生まれなかったならば』と題した珍しいクリスマスカードが出版された。
〜中略〜
 一人の牧師がクリスマスの朝、短い眠りに落ちた時、キリストがおいでにならなかった世界を夢見たのである。
 彼はその夢の中で家中を見回したが、暖炉の上には一足の小さな靴下もなく、クリスマスの鐘、ひいらぎの枝、慰めたもうキリスト、私たちを喜ばせ、また、救いたもうキリストを発見しなかった。彼は屋外に出て町を歩いたが、天をさしてそびえ立った尖塔をもつ教会もなかった。彼は帰ってきて書斎に腰を下ろしたが、キリストに関するあらゆる書籍は失せていた。
 ドアのベルが鳴って、一人の使いが、彼に、貧しい、死にかかっている母を訪ねてくれ、と願った。彼は泣きじゃくっているその使いの子どもと一緒に急いでその家に行った。彼は座って、『私はあなたを慰める言葉を持っています。』と言った。彼は聖書をあけて、よく知っている聖書の約束を探した。しかし聖書はマラキ書が一番終わりになっていて、福音書も希望も約束もなく、彼はただ頭をたれて絶望のどん底にいる母と共に泣くばかりであった。
 二日の後、彼は彼女の棺のそばに立って葬式を司ったが、そこには慰めのメッセージも、栄光ある復活も、開かれた天もなかった。ただあるものは『塵は塵に、灰は灰に』ということと、永遠の訣別だけであった。牧師は遂に『キリストが来なかった』ことを明白に認め、悲しい夢の中で涙を流して、いたく泣いた。
 彼は愕然として目が覚めたが、賛美と歓喜の大いなる叫びが彼の唇からほとばしった。彼は近くにある彼の教会で歌う合唱を聴いたからである。

『彼は来たりたもうた』。今日、私たちは喜び楽しもう。

『見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。(ルカ2:10)』」


ハレルヤ!