先週から体調を崩し、2日間ほとんど食べずに寝ていました。
体調が悪くなると気持ちも落ち込みがちになるもので、体がほぼ治ったというのに、気持ちの方は不安定なままでした。
というのも、現実の目の前のことをみると、不安、心配が湧いてきて、主に、助けて、と祈るのにまた現実を見て不安になって…という、良くない状態でした。
そんな今日、いつもの広島聖書BCからの、「日々のことば」を通して主が、私の心に励ましを、また、まだ現実のことになっていないけれど、主の約束を固く信じなさい、とのメッセージをくださいました。


「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから」民数記13:30

カナンの地を探った12部族の斥候たちが戻って来た時、人々は、信仰的、肯定的報告をしたヨシュアとカレブの言葉を聞かず、他の10部族の者たちの不信仰な、否定的な情報を信じた。 民は大声を上げて叫び、夜通し泣き明かし、エジプトに帰ろうと嘆いた。そこの民は強く、背が高く、自分たちはいなごのように見えた。ネフィルム人、アナク人を恐れ、怯えた。

 神が共におられるのに、自分をいなごだと思う事は劣等意識であり、人を非常に恐れる事になる。人を恐れるとサタンの罠にかかる。神を信頼する事ができないで、神の約束の地も占領する事ができない。 その不信仰ゆえに荒野で滅ぼされてしまった。

 ヨシュアとカレブ、そして他の10部族の斥候達は全く同じものを見た。全く同じものを見て、正反対の反応が生じた。

 何が違ったのか。

 その分かれ目は、神の約束の言葉を信じたかどうかによった。ヨシュアとカレブは神を見た。他の10部族の者たちは状況、現状を見た。 ヨシュアとカレブは目に見えない神と神の言葉を見て、信じた。後の者たちは目に見えるところだけを見て、不信仰に陥った。

 私たちはどちらを見ているだろう。
 
 「上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから」との神の言葉に立とう。「必ずそれができる」

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「必ずそれができる」力強い神様の導きを信じよう。現在の状況、現在の自分の姿は、いつまでたっても否定的な要素ばかりだ。信仰に立って勝利しよう。ゴールまで神様が必ず導いて下さる。