今日も広島聖書BCからの「日々のことば」を転記させて頂きます。
昨日、私は、主からのみことばによる約束がなかなか現実のものにならず、かえって目に見える現実に不安を感じ、その気持ちを正直に主に祈り、床につきました。(金山から送って頂いたこごみ→)

『「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです」ヘブル10:35  

ペテロは「来なさい」との御言葉により、水の上を歩くが、主から目を離し、風を見た途端、信仰が揺らいで、沈んでしまった。信仰が揺らいでしまう現実をどうすればよいのか。
御言葉を握り、信仰によって前進すると、御言葉と反対の現実、逆境に会ってしまう。信仰が失せそうになる。
ある男性が祈って与えられた仕事に就いたが、数年後その会社が倒産してしまった。貯えもなく、家族を抱えて、恐れと不安でパニックだった。とにかく祈り、祈りに祈るが次の仕事が無い。途方に暮れ、神に導きを求めて祈っていると「すべての事について感謝しなさい」、「感謝せよ」と示された。現実は荒涼たる荒野であり、当ても何も無かったが、主の示しに従おうと、現状を受け入れ感謝し、仕事が無いことを感謝した。すると、心に神の介入が来て、不安と思い煩い、恐れの心に平安が来た。現実は何も変わらないが、心が変えられ守られた。やがて職が与えられた。
別の人は採用試験を幾ら受けても合格しない現実に、落ち込んだ。与えられると信じているが、目の前の風を見ると沈んでしまう。御言葉でなく、現実を、目に見える方を選び、信じている自分に気づいた。結局、御言葉を否定し、目に見える所しか信じない不信仰だ。自らの不信仰を認め、悔い改めた時、信仰が確かにされた。
今揺らいでいるなら、まずありのままの心を主に告げよう。

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目に見えるところは、いつも強い影響を与えてくるが、私達には「主よ助けて下さい」と祈ることができ、状況を支配しておられる神様を知っている。約束のみ言葉も握っているのだ。信仰もってしっかり立っていける事、感謝だ。』