今日は広島原爆の日。でも最近この日にテレビで特集番組を作ったり、新聞で特集を組んだりすることがぐんと減ったな、と思います。もう戦後60年を過ぎ、「風化」してしまったのでしょうか。

私は戦争経験はありません。広島にも長崎にも行ったこともありません。今世界のどこの国で紛争があるとか、子どもが食べ物を満足に食べられないのはどこの地方だとかいうことも分かりません。

野良猫の赤ちゃんが暑さと飢えで死にそうになっているのをみて、たまらなくなったり、アフリカのある国では小さい女の子までレイプされて、という報告を聞くと、怒りで頭がカーッと熱くなったり・・・。悲しくなったり怒ったりはするものの、じゃあ私は今、何をしたらいいのだ?いったい何ができるのだろう。

うちの近所で一人のおじさんをよく見かけます。そこは、バイパスの下で雨風をある程度はしのげる場所です。そこに寝泊まりしているようです。このたった一人のおじさんにさえ、私は何にもできていません。



身近にあること、すぐできることから手をつけていくしかないのだろうと思います。でもそれでアフリカの女の子に何か影響はあるんだろうか。
海外だけじゃない。日本の国の中にも、問題は山積みじゃないか。虐待は?ワーキングプアは?モラルの低下は?


分からないことばかりな上に、今自分は何をしたらよいのかも分からず…。とにかく今の私は、何なんだろうという感じです。

バラをきれいに咲かせても、いったい何の意味があるんだろう。

S.バーバーの「弦楽のためのアダージョ」がどんな風に使われてるのか見たくて「プラトーン」を観たものの、数日間続いた吐き気と落ち込みに「観なければ良かった」と思った数年前の記憶がよみがえります。世の中には見なくてもいいもの、聞かなくてもいいものはあると思います。母親を殺してしまった少年のその後の行動が興味本位に報道されていたときにも、そう思いました。というより、私のショックを受け入れる容量が少ないのかもしれません。

時が回復をもたらしてくれることは確かです。でも「時」によって回復できる内容とそうでない内容があります。

でも、また何よりも主が、私を助けてくださるから、また、何より私を愛してくださっているから、そして「決してあなたを見捨てない」といってくださる方だから、そんな主を知っているから、私は幸せ者です。