「これほどの神を持ちながら、信仰が不足しているというのはいったいどういうことなのだろうか。」

これは、「ハドソン・テーラーの生涯とその秘訣」に書かれていた一文です。

19世紀の半ば過ぎから中国へ伝道のために入っていったハドソン・テーラーは、宣教の働きのほかに病院での責任も持つようになります。中国人の患者からは一切診療費を取らずにいたので、もともとゆとりなどなかったのに、最後の米袋がひとつだけとなり、しかもどんどん減っているという状況になりました。コックからその報告を聞いたときのテーラーの言葉も信仰に満ちていました。

「それではいよいよ主の助けてくださるときが近づいているのに違いありません。」

さあ、この後どうなったと思いますか。

ちょっと長いですが、その部分を載せてみます。

「その米袋がからになってしまう前に、若い宣教師は一通の手紙を受け取った。それは彼が今まで受け取った手紙の中でも実に驚くべきものであった。
 バーガーから来たその手紙の中には、以前と同じように50ポンドの小切手が同封してあった。ただ今度の手紙には、バーガーが神のために用いるべき富の重荷を強く感じていることが付け加えられてあった。そのころバーガーの父親がなくなり、相当な遺産が残されたが、自分のためにその遺産を使おうと思ってはいなかった。同封されていた小切手は当座の必要のためであったが、氏はなおこの遺産にの使い方について神の目的を知るために祈っている。だから、中国にいる友人が祈って、もっと多くの金を、もっとも有効に用いる道があれば、事情をよく知らせてくれるようにというのであった。」

私たちを愛しておられる主。その主が私たちに良いものを下さらないことがあろうか。

私はこれほどの神を持ちながら信仰が不足しているというのは、いったいどういうことなのだろうか。

私にとって最善のものを用意し与えてくださる主。与えられるまで待つ間にも、安心を下さる主に感謝です。

「心を強くせよ。すべて主を待ち望むものよ。詩篇31:24)」