私の覚え書きのために。
広島聖書BC「日々のことば」から。
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「いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ」ヨシュア5:14
ヨシュアは偉大な大指導者モーセの後を引き継いで、リーダーとなりカナンに入った。 今やモーセはいない。自らがモーセに代わり、エリコ陥落に向けて、民を率いて戦いが始まる。ヨシュアにとって、非常なるプレッシャーと多大なる不安、恐れ、心配の中にいた事だろう。 その時に一人の人が抜き身の剣を持って立った。思わずヨシュアは「私の敵か、味方か!」と問うた。自分を助けてくれるのか、それとも立ち向かい、攻撃して来るのか。 その人は敵とも味方とも言わず「主の軍の将」だと言った。敵でも味方でもなく、将だと。自分というものが根深くある私達は、いつも自分を中心に考えてしまう。「自分の」敵なのか、味方なのか。 信仰生活にしても同様だ。私の信仰・・私の霊的生活・・私の霊性・・。底が厳然と「私」なのだ。持って生まれた肉の性質だ。 しかし、そうではなく、主が将であり、主がリーダーであり、その主の戦いを助けるのがヨシュアであり、私という事だ。「私のための神」「私の」ではなく、まず初めに「神が」おられ、「神のための私」だ。 主が将でなく、自分が将となるゆえに、あらゆる思い煩いと不安、落ち込みに襲われる。すべてが自分の肩にかかって来るからだ。主が将となり、あなたの家庭、仕事、信仰を、今の重荷を導かれる。今必要なのは、主をあなたの将とする事ではないか。
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自分のために、神があるのではなく、神のために自分がある。自分が神に何を求めるかでなく、神は私に何を求めておられるのか、そこに視点を変えてみよう。