ラクト配り隊で主の備えは必要を満たして余りある、ということを体験したわたし。
次のトラクト配りも意気揚々といくはずでしたが、思いもかけず、自分の愛のない行動や言葉に後悔する日々を送るようになってしまいました。
そんな訳で、先週のわたしは、答えのでない問題を抱え、寝ても覚めてもぐるぐると同じところを回り、もうお手上げ状態でした。もう自分ではなすすべもなく、自分ですることといったら、結局問題を大きく広げてしまっていたのでした。

もうわたしができることと言ったら、何でもできる神さまに正直に自分の気持ちを話すことしかありませんでした。私たちクリスチャンは何という幸いなのでしょう。主はわたしの話を必ず、いつでも聞いてくださるのです。そして心配してくださるのです。「あなたがたの思い煩いをいっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(聖書)」これは確かな約束です。

自分の願うような結果になって欲しくて、主に全てをゆだねるのが正直こわい、と思っていたのです。主の思いはわたしの思いと違うかもしれない、と。

でも、昨日教会で、もう自分が同じところをぐるぐると回って出口のない悩みを抱えた状態でいることが苦しくて仕方がなくて、とにかく「わたしを変えてください」と祈ったのです。

本当に主のあわれみです。わたしは主を信じ、主のなさることを信じたい、と思うようになりました。
わたしがいろいろな手を打って、状況が好転したとしたら、多分わたしは自分の力だと誇るようになるでしょうし、自分の力による結果はとても不安定です。
しかし、主が100%働いてくださって状況が変わるなら、それがわたしの思いと異なっていても、その状況は確かなものだ、そう思ったのです。

もちろんわたしの正直な願いを主の前に持って行き続けます。でも結果は主に信頼しています。それでわたしは気持ちが晴れたのです。

また、今日は新しい賛美を知りました。旋律もとてもきれいでぜひここで歌ってお聞かせしたいのですが、歌詞だけ。(イザヤ43:1〜4がベースだそうです。)


おそるな。わたしがあなたを贖う神であるから。
水の中を渡るときも 火の中を通るときも
わたしはあなたを守ろう あなたはわたしのもの。


おそるな。わたしがあなたを名前で呼ぶのだから。
水の中を渡るときも 火の中を通るときも
わたしはあなたを守ろう あなたはわたしのもの。


終わりのない愛もて あなたを愛そう
水の中を渡るときも 火の中を通るときも
わたしはあなたを守ろう あなたはわたしのもの。


あなたはわたしのもの。高価な宝。
わたしの宝。


これだけ言ってくださる神が他にありますか。終わりのない愛でわたしを愛してくださる神は他にありましょうか。また、力強い御手でわたしを守ってくれる神が。

こんな神さまだからわたしは信じる。愛される価値のないわたしを心底、そして永遠に愛してくださる神さまを!