私の覚え書き。
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「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた」使徒8:1
「何でこんな事が?」時に、突如の苦しみが襲う。 しかし、実はこの迫害こそが、取りも直さず、神の新しい働きのために、みわざの前進のために用いられたのだ。 「エルサレムユダヤ、サマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となる」との御言葉の通りに、人々が散らされ、福音がエルサレム以外の地域に宣教され始めた。教会の新しい働き、神のみわざは突如開始されて行った。 迫害自体は大きな苦しみ、痛み、不都合だったが、振り返る時、神の御旨の成就であったとわかる。 同様に、すべてを見通す神の目からは、御旨が着々と成し就げられて行っている事が、すなわち私達にとっては大きな苦しみ、悩み、困難の形となって現れる事があるという事だ。 ヨセフも異国に売られ、無実の罪で投獄され、厳しい患難の中を通ったが、実はイスラエルが存続するため、家族を救うために、予めエジプトに送られたのであった。 今、あなたにとって「何でこんな苦しみが?」「どうして?」と理解不能の事態が目の前にあるかも知れない。 しかし、苦悩の迫害が、実は地の果てまで証人とされて行く、御旨の成就であったように、神の目からは、正しく事が進んでおり、先には素晴らしい結実が待っている。今はわからないが、信じていよう。神に間違いはない。良い事のための計らいとされる。
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痛い、しんどい事が起こる。その事自体は苦しく辛いが、大きな神のご計画の一環であり、パズルが埋まって行くように、その先に確かな結実がある。状況に飲み込まれてしまわず、神様視点で見ていよう。 

それから、今日クリスチャン新聞の記者さんから取材を受けました。トラクト配り隊のブログを見てくださって、6月28日号の特集に載せたい、と連絡があったのが先週。今日のお仕事が終わって、夜7時に電話をくださいました。約30分お話ししました。来週には原稿をメールしてくださるとのこと。どんな風にまとめてくださるのかな。楽しみです。