「私たちも信仰に立って、すべての事柄に神を認め、摂理を認める時、物事の見方が全く変えられる。ガッカリし、失望する時は、神のご計画を認める時だ。今、もしあなたが失望にあったなら、神のご計画を信じ、信仰的見方に立とう。」


11月10日の「日々のことば」の中の一節。



結構毎日元気に過ごしているものの、あるきっかけから始まって、気持ちがどよんとしてくることがあります。
先週の土曜のフランス語教室。
レッスンが終わってから、例のおじいさんに(また)つかまってしまい、
仕事を続けなさい、とか、早く結婚しないのか、とか、
元教員らしく余計なお世話をくどくどとやいてくるんで困ります。
何で結婚しないのか、の問いに、いつものように、正直に「私はクリスチャンで、同じ信仰を持っている人との生活をしたいから。」という応えに、「視野が狭い」と。
そこから、ご自分の知っているまわりの方々を例にとって話し始められ、延々と…。
その人の話を聞いても私には全く関係ないのに。
自分が一番だと思っているのが、(元)教員の最もいけないところだと私は思う。



このおじいさんは私にだけこういった話をしているんだろうからいいんでしょうが、
私は同じような話を、もちろんよかれと思って話してくれているんでしょうが(でもそれも疑問ですが)結構いろんな既に聞いているんでうんざり。



結婚してない理由を簡単に言うのはもうやめたほうがいいのかな。




・・・とかいうことをきっかけに、私の気持ちはどよん、としてきていたんですよね。
というのも、結婚してないのはクリスチャンだからっていう理由だけじゃなく、私自身の間違いや問題も多々あったからなんだよな、っていうことをまた思い出してどよんとしちゃったから。




で、どよどよしてて一週間なんだか肩がすごく凝って頭重頭痛にもなっちゃったし、
(そうそう、それでS接骨院に電話したら、大先生怪我のため休養中。ゆえに息子先生のみなんだって!)
元気もなくなってしまっていたところに、↑の「日々のことば」が届いたんですね。
みことばもピレモン15。




一週間たって今日のレッスン。
今日はつかまらないように帰ってきたけどね。
おじさんもさすがに、先週は言い過ぎたと思っている様子だったけど。



…でも今日も強く思った。
おじさん、頼むから個人レッスンに変更してくれ…!!